海山口汛防の跡 新莊街海山頭にあり、清朝時代守備兵の駐屯所なり。
營盤烟燉の跡 新莊街營盤に在り、清朝時代狼煙台を置き地方警あれは發射し四方の兵を集むる會圖に備へり。
鐘氏の石坊 新莊街新莊に在り、板橋の富豪林維源の母鐘氏を旌表する為め光緒六年建立せり。
武聖廟碑 新莊街新莊武聖廟內に在り、其文に曰く。
碑文省略
石龜碑 新莊街海山頭字石龜にあり、林本源祖先の碑にして左の文を刻す。
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縣丞署の跡 新莊街新莊にあり。
巡查部長島田好太郎之墓 林口庄南勢埔字南勢埔尾にあり、明治三十四年十月八日土匪討伐の際殉難す有志碑を立て之を祀る。
西雲巖寺 五股庄洲子西雲巖の中腹に位す乾隆十六年建立に係り觀音佛祖を祠る山紫水明の勝地なり、又廟の後方より泉水湧出し眼失に神效ありと云う古來西雲巖泉と稱す。
凌雲禪寺 海抜一千尺觀音山の中腹に在り、觀音佛祖を祀る臨濟宗妙心寺派に屬す舊凌雲寺に對し之を新廟と云う、明治四十二年の創立に係る風光明眉眺絶佳なり。
觀音山 昔は八里坌山と呼ひ郡の北方に屹立し淡水河口を扼す、海抜二千二十二尺八面秀麗台北八景の一たり山中に蘭を生し名けて觀音山素心と呼ひ賞玩せらる、東方に獅頭山並ひて立てり。
八里坌澤 觀音山の絶頂に在る三角形の小池にして清冽鏡の如し、古時蕃人の靈場なりしと云う。
仙迹石 觀音山の尖頭の石上に三箇の足跡あり、深く石に入る靈場として崇敬せらる。
反經石 五股庄成子寮字獅子頭共同墓地に在り、其形馬鞍の如く、羅針を石上に於けは子午線定まらす故に反經石と名く。
硯盤石 觀音山上に在り、長二丈濶一丈四尺許、形硯の如く、凹所に水を注けは旱時も涸れすと云う。
石鍾石皷 昔五股庄洲子西雲巖の頂にありたれとも今は其跡を止めす、之を叩けは鐘皷の聲を作せりと云う。
觀音山砲台 光緒十年劉銘傳の築造にして當時淡水港口の重鎮たり。
文字石 五股庄成子寮字獅子頭山の石壁に天賜一善の四大字及一白及福の三大字を刻す乾隆年間林郎なる者の古跡なりと云うも今は其跡を止めす。
和尚洲 鷺洲庄淡水河邊の一地域にして蘆花十里泛月觀月の勝地として知らる台北八景の一なり今は新莊蜜柑の產地として其名高し。
平頂 本郡の西方一帶は丘陵連亙し其遠望恰も彩霞の搖曳たるに似て亦台北の形勝たり。
頂坡角の古碑 乾隆二十九年建つる所其文左の如し。
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