本郡地方は往昔老樹鬱蒼たる森林にして武朥灣社及八里坌社等の蕃社割居せしも已に鄭氏以前に在りて多少の漢人此の地方に流寓せしもの、如し後康熙雍正年間漳泉二州の人民漸次移住するありて海岸及淡水河流域を開拓せり。

雍正九年(享保十六年)八里坌に巡檢を設け後乾隆三十二年(明和四年)新莊街に移し其五十五年陞して縣丞となり嘉慶十四年(文化六年)改めて艋舺縣丞となるも尚此地に止まり一時地方の首都となる後淡水縣に屬し領台後辨務署を置かれ明治三十四年改めて支廳となり大正九年九月新莊郡となる。

本郡の東南を迂廻する大嵙崁溪は昔時水深くして大船の出入自由なりしに由り乾隆時代此地方の發達は北方に冠絶し新莊街は巡檢の所在地として繁榮を極めたるも河底漸く變して巨舶を寄せさるに至り新莊の貿易は自から艋舺に移り後光緒十三年(明治二十年)新竹鐵道の完成するや稍殷盛を呈せしも其後鐵道線路の變更により復衰退せり然れとも其の沃饒なる平野は又以て有數なる農業地たるを失はす。

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