海山口汛防の跡 新莊街海山頭にあり、清朝時代守備兵の駐屯所なり。
營盤烟燉の跡 新莊街營盤に在り、清朝時代狼煙台を置き地方警あれは發射し四方の兵を集むる會圖に備へり。
鐘氏の石坊 新莊街新莊に在り、板橋の富豪林維源の母鐘氏を旌表する為め光緒六年建立せり。
武聖廟碑 新莊街新莊武聖廟內に在り、其文に曰く。
碑文省略
海山口汛防の跡 新莊街海山頭にあり、清朝時代守備兵の駐屯所なり。
營盤烟燉の跡 新莊街營盤に在り、清朝時代狼煙台を置き地方警あれは發射し四方の兵を集むる會圖に備へり。
鐘氏の石坊 新莊街新莊に在り、板橋の富豪林維源の母鐘氏を旌表する為め光緒六年建立せり。
武聖廟碑 新莊街新莊武聖廟內に在り、其文に曰く。
碑文省略
位置及境域
本郡は台北州の西部に位し東南は淡水河を隔て、台北市、七星郡及海山郡に接し、北は觀音山分水嶺を境として淡水郡管內八里庄に、西南は新竹州桃園郡管内龜山庄及蘆竹庄に境し、西北の一帶約二里六丁餘は支那海に臨めり。
地勢
管内は淡水河流域に發達せる所謂台北平野の一部と觀音山系より成る海抜八百尺の高原地との二區に分たる即ち西方高原地一帶は水利の便すなく從て土地乾燥粗瘠にして水田に適せす概ね茶園なりと雖も東方平地にありては灌漑の便能く開け地味頗る肥沃にして台北州下に於ける米產額の約一割二分を占め且米質佳良なるを以て新莊米の名あり。
山岳
本郡地方は往昔老樹鬱蒼たる森林にして武朥灣社及八里坌社等の蕃社割居せしも已に鄭氏以前に在りて多少の漢人此の地方に流寓せしもの、如し後康熙雍正年間漳泉二州の人民漸次移住するありて海岸及淡水河流域を開拓せり。
雍正九年(享保十六年)八里坌に巡檢を設け後乾隆三十二年(明和四年)新莊街に移し其五十五年陞して縣丞となり嘉慶十四年(文化六年)改めて艋舺縣丞となるも尚此地に止まり一時地方の首都となる後淡水縣に屬し領台後辨務署を置かれ明治三十四年改めて支廳となり大正九年九月新莊郡となる。
本郡の東南を迂廻する大嵙崁溪は昔時水深くして大船の出入自由なりしに由り乾隆時代此地方の發達は北方に冠絶し新莊街は巡檢の所在地として繁榮を極めたるも河底漸く變して巨舶を寄せさるに至り新莊の貿易は自から艋舺に移り後光緒十三年(明治二十年)新竹鐵道の完成するや稍殷盛を呈せしも其後鐵道線路の變更により復衰退せり然れとも其の沃饒なる平野は又以て有數なる農業地たるを失はす。